9月 1日
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映画『誰も知らない』を観た。主人公の柳楽君がカンヌ映画祭史上最年少で最優秀男優賞を受賞したことでも有名になった映画である。母に置き去りにされた子供達という辛いテーマだが、子供達の心理が伝わってきて、丁寧に大切に作られた映画だった。問題解決はされていない結末だけれど、しっかり泣かせてもらった。
昨日読み終えた、横山秀夫さんの『「クライマーズ・ハイ』良い本だった。読後爽やか。御巣高山の日航機墜落後の新聞社の中でのドラマを縦糸に、主人公と息子との関係も横糸に織り込まれてて、これもそれぞれの立場の人の気持ちが丁寧にくみ上げられて書かれているので、読み応えあり。途中やっぱり泣かせてもらった。
そして、先輩歌手Kさんのリサイタル、せつない恋の歌に胸がきゅんとなって涙ぐんでしまう歌もたくさん。
どうもオリンピックの感動以来、涙腺が緩んでしまってるようである。
9月 5日
9月1日にまわりで二人赤ちゃんが誕生。二人とも女の子である。「空未(そらみ)」ちゃんと「真愛(まりあ)」ちゃん。最近は、「○○子」ちゃんなんて名前をつける事はほとんど無いのかなぁ・・・そんな話をしたら、男の子の名前も凝っているようで、お友達からきたメールによると、身近に最近生まれた赤ちゃんの名前が「虎哲(こてつ)」くん「來武(らいぶ)」くんとの事。この名前で一生が始まるんだから、ご両親は精一杯字画も考え悩みぬいて選んだ名前なんだろう。それにしても個性的な名前揃いだ。
さてさて、こちらは平凡な名前、ポーギーとベス。
今日、オーチャードホールでニューヨーク・ハーレムシアターの『ポーギーとベス』を鑑賞。
「Summertime」「I love you porgy」など、素晴らしいガーシュインの曲に惹きこまれる。オペラというよりゴスペル的な迫力もあって聴き応えがあった。
その前にふらりと時間つぶしに入ったグッゲンハイムコレクションも、ピカソやカンディンスキー、ミロなどの印象に残る作品を含め80点ほどを堪能でき、芸術の秋の一歩を踏み出した(!?)気分の休日だった。
9月 9日
モンゴルが舞台の映画『らくだの涙(The Story of Weeping Camel )』は心洗われる素晴らしい作品だった。白いらくだを難産で産んだ母らくだが子育てをしようとしない。その母親らくだに音楽を聴かせる。音楽セラピーのようなものが実際にたくさん行われているのだろう。ゴビ砂漠に流れるアカペラの歌、そして馬頭琴の音色。母らくだが涙を流す。子供を受け入れるようになる。
先日観た『誰も知らない』でも、ゴンチチの奏でるギターの音色がやけに悲しくて胸に響いたのだが、今回の作品でも、音が多すぎない事の素晴らしさに酔った。シンプルな音がすうっと心に沁み入ってくる喜び。素朴で自然で、いい映画を観たと思う。
セミドキュメンタリーで、意外な事にドイツ映画だが、出てくる曽祖父のおじいさんの笑顔が演技ではなくて素晴らしい。こんな顔に老いたいものだと思った。
その後、お友達の赤ちゃんに会いに病院へ・・・この世に生まれて一週間の3000グラムに満たない生命を抱かせてもらった。
命の素晴らしさをいろいろと実感できた良き日。
9月14日
久々に早朝5時半起き、東海道新幹線で浜松へ。もうすぐ終ってしまう浜名湖花博を楽しんだ。
まずはモネのジヴェルニーの庭に向かう。モネのお庭での結婚式に出会って、一般の人もどうぞ・・・ということで一緒に祝福。こういうセレモニーを何度もやってるのかと思ったら、抽選で当ったハッピーな新郎新婦、花博開催中一組だけの結婚式だったそう。モネのお庭は優しく細やかな花たちで飾られていて、もちろん睡蓮もたっぷりで、すてきだった。
「星の王子様」でお馴染みのバオバブの木、1億5千年前から生息していたというジュラシック・ツリーなど、めったに見られないものも楽しんだ。
緑の中に川が流れ花に溢れた素晴らしい空間を満喫したが、何しろ相手は生き物、手入れは大変な事だろう。いつでも旬の状態にするためにお花を継ぎ足したりして働いている人に、お礼を言いたくなった。
見ごろの花が次々変わるから、何度も出かけた人も多いようだ。五月頃にも行きたかったなぁ。
それにしても、真夏の炎天下を避けて九月にしたんだけど、あまりにもいいお天気すぎて日焼けしてしまった〜 どうしよ!土方焼けだぁ〜〜
(My Walking Area に写真 Up してます!)
9月20日
《ベランダに飛んだきた赤とんぼ》
萩(はぎ)桔梗(ききょう)薄(おばな)撫子(なでしこ)女郎花(おみなえし)葛(くず)藤袴(ふじばかま)
秋の七草は、儚げなものが多いと思う。
花博で沢山の花を見てきたためか、街を歩いていても目で花を探している。
日本橋で催されている池坊展に行ってきたが、この会場でも吾亦紅やすすき、桔梗りんどうなど秋の花が沢山使われていた。オブジェ風の奇抜なものより私はシンプルでオーソドックスな作品が好きだった。

八月の夏真っ盛りの日に蝉が飛んできたベランダに、今日は水撒き直後赤とんぼの姿が・・・ 
昼間はまだまだ残暑が続いているけれど、夏は後姿を見せ始めたんだと実感したひととき。
秋の日はつるべ落とし、昨日はスタジオから表に出たらもう日が落ちて、くっきり綺麗な三日月がかかっていた。
青紫色の秋の花が似合う季節、久々にゆったりのんびり時間を過ごしている休日である。
9月25日
去年の7月に生まれた赤ちゃんがもうこんなに大きくなった。(我がホームページの去年10月の日記にも写真が載せてあるので見比べてみて!)
生徒さんのお子さんなのだが、教室に連れて来てもおとなしくていい子で、歌っているつもりなのかしら、一緒に声を出したりして、皆なのアイドル。一歳二ヶ月の今頃は人見知りが始まったようで、今日はいっぱいぐずって泣いちゃった。ところがピアノの前で手をもって音を出させてあげると、大喜び。ピアノの音にはしゃいでは、パチパチと拍手をする。どう、うまいでしょ!と言ってるんだろうな。
ここの所、甥っ子やお友達にも子供が生まれて、ちっちゃな赤ちゃんを抱く機会があったが、子供の可愛らしさをそばで見ていると、自然に気持ちがやさしくなって顔がほころんでくる。
でも、幼い笑顔をみると思ってしまう。まるで小説のような信じられない殺人事件が続いている今の時代、この子達が大きくなった時恐ろしい事件がこれ以上世の中を荒らしていませんように、と。
《花菜子ちゃん》
9月30日
《28日の夜見えた仲秋の名月》
仕事から帰って見上げた空。仲秋の名月は、雨が上がった空に「月にむら雲・・・」といった感じで浮かんでいた。くっきりはっきりではないにしても、それはそれで中々に幻想的な十五夜お月さんだった。
急に涼しくなってぽかぽか湯船が恋しくなる。温泉にでも出かけたくなる。

学生時代には下宿にお風呂が付いていなかったので、近所の銭湯まで通った。行き帰りのシーンは、何故か暑い時より寒かった時の事の方が思い出されて、おかしい。
最近は大きな温泉やスパのようなところはたくさん出来ているけれど、銭湯は減りつつある。時たま風呂桶を持った方をお見受けするから、きっと近くにあるんだろう。
この秋は、近所で、いわゆる「町の銭湯」を探して温まりに行ってみようかな。