6月 1日
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さっき、札幌から我が家へ帰った。
ライラックと八重桜が並んで咲き、つつじ、藤、チューリップ、すずらん、もくれん・・・etc. まさに百花繚乱の札幌を楽しんできた。新緑も淡くて柔らかい色で、山の方では山桜にも出会えた。温泉や美味しい海の幸、そして懐かしい人たちの笑顔、あっという間の8日間で、心癒されて東京へ。
まずは、ベランダの緑に水遣りをしてから、パソコンメールや留守番電話のチェック。
札幌の鈴蘭はすべてドイツ製じゃなく、花が小振りで可愛い和製の鈴蘭だった。昨日までご一緒したピアニストの真美ちゃん宅のお庭に咲いていた鈴蘭を貰って帰ったので、夏が越せるかどうか、育ててみようと思う。
今日の札幌は快晴、大きい青空を目に焼き付けて戻った。さぁ、6月も張り切っていこう!
《今日の札幌の青空》
6月 3日
札幌は、気温12度のリラ冷えの翌日に真夏日の28度になったり、めまぐるしく変わるお天気だったが、充分満喫した日々だった。仕事以外にも、温泉、ドライヴ、映画、美術館・・・と充実の毎日。ゆったり流れる空気のなか露天風呂から山を眺めながら、こんなに平和でいいのかなぁ、なんて感じてしまった。
花も緑もあふれる季節だが、動物達にとっても恋の季節。
知り合いのMさん宅のベランダには親子の雀がやってくるそうだ。親鳥より子供の方が産毛の分だけひとまわり体が大きい、それなのに親から口移しで餌を貰っている姿がおかしくて可愛いらしい、とおっしゃっていた。
信じられないような悲惨なニュースが次々に入ってくるたびに、胸が痛くなる。いつでもリセットできるゲーム感覚は恐ろしい。命の重さをわかってもらうためには、やはり愛情で伝えるしかないと思うのだが・・・。
《札幌から運んだ鈴蘭》
6月 7日
東京も梅雨に入った。
梅雨時で水に縁のある月なのに「水無月」とは不思議。
万葉集には『六月の地さへ裂けて照る日にも 我が袖干めや 君に逢はずして』と詠まれている。陰暦陽暦、ひと月のずれでこんな呼び名になったのだろうと思っていたら、
「みなつき」の「な」は本来は「の」の意で「水の月」「田に水を引く必要のある月」の意味という説、
水無月は旧暦6月でグレゴリオ暦では7月中旬から8月中旬頃にあたる、ちょうど梅雨明けをはさんだ期間になるので、梅雨の雨で使ったために天にある水が無くなってしまう月という説、
いろいろあるようだ。
やっぱり旧暦の6月は梅雨明けの時期にあたり、雨量が減るから「水無月」だという説が正解かしら。
6月には風待月という美しい呼び名もある。
若い頃は雨はあまり好きじゃなかったけれど、最近は雨の日のいろいろ物思いにふける時間が好きになった。花菖蒲も紫陽花も、この季節の花達は雨が似合う。蒸し暑いとぼやかずに、湿りを帯びた柔らかく優しい空気を花達と共に楽しもう。デジカメ片手に、カタツムリを探しに、雨の中の散歩も良いかも・・・。
パトリス・ルコント監督の映画『列車に乗った男』を観に行った。思ったとおりの素晴らしい作品。
ジャン・ロシュフォールとジョニー・アリディー。
ジャン・ロシュフォールはルコント作品には無くてはならない名優だが、ジョニー・アリディーは私の中では昔「ク・ジュテ−ム」という彼の曲を歌っていたこともあって、シルヴィー・バルタンの旦那さんでフレンチポップスの歌手というイメージが強かったのだが、俳優として良い味を出している。
それぞれ違った意味で孤独な二人の男の人生。同じ日に人生の大きな賭けがある二人。
観終わってから、もし違う人生があるとしたら、私はどんな人生を・・・なんて考えていた。
短い時間の中での二人の魂の交流。
ロシュフォールにアリディーが言う言葉「年をとるほど輝きは増すものだ」 う〜ん納得。
それから、アリディーがロシュフォールに「音楽は好きか」と聞かれて「ハモニカは好きだ」と答えるシーンも個人的には好きで、なんだか嬉しいシーンだった。
6月10日
6月16日
《額紫陽花の方が好き》
日が長くなった。もうすぐ夏至。
5月末に行った札幌では、陽が沈むのが東京より30分くらい遅い、そして夜中の3時半過ぎには空が白んでくる。ススキノで飲んでいて帰ろうとすると、もう明るい!?ちょっぴり罪悪感、そして反省・ ・・の日もあった。
ここのところ梅雨の中休みの爽やかな日が続く。「五月晴れ」とは、旧暦5月の梅雨の晴れ間のことをいうそうだ。まさに五月晴れの今日。
紫陽花の花がこれほどあったっけというくらい街のいたる所に咲いている。雨が似合う紫陽花だが、晴れている方が散歩する身には嬉しい。でも贅沢言えば、晴れより雨あがりのほうが、露が光り木々の色も鮮やかだし楽しい。
今と違って舗装されていない道が多くて、雨あがりにできたたくさんの水溜りにゴム長靴でわざわざ入りながら歩いた小学生の頃。アメンボが泳いでいた水溜り。
ベランダの水遣りをすると土の匂いが立ちのぼってきて、昔はよく嗅いだ香りに、そんな水溜りのシーンが懐かしく思い起こされた。
6月20日
梅雨は何処へ行ってしまったのかと思うような晴天続きの毎日だ。
散歩の途中で立ち寄った近所の Book Off でなかにし礼さんの自撰詞華集『昭和忘れな歌』を購入した。申し訳ないような値段、400円也。シャンソンの訳詞だけでも50曲以上、他にポップスや歌曲の訳詞、歌謡曲がどっさり。アズナヴールの『ラ・ボエーム』など、シャンソンの名訳も多いが、歌謡曲の方も、えっ!この曲もなかにしさんの作詞〜?というくらい、昭和の歴史を感じさせる作品が一杯。作詞作曲の『さらば銀巴里』などという曲まである。今は作家としてもお忙しいだろうが、やはりこの方の原点にはシャンソンがあるのだろうと思いながらページをめくってみている。
シャンソンの訳詞者には、何人かご自分も歌い訳詞もなさる素晴らしい方達がいらっしゃるが、その中のおひとり高野圭吾さんの訳詞にも心に響く素晴らしいものがたくさんある。ルイ・アラゴンの作詞『Maintenant Que La Jeunesse(過ぎ去りし青春の日々)』という曲の中に、
 「まるでこの空 絵に描いたみたい あまりに青すぎて別世界みたい
  死ねたらいいのに こんな良い日には・・・」
という訳が出てくるのだが、空を見上げて高野さんのそんな名訳を思いだした休日の午後である。
《本日も晴天なり》
6月23日
今年は梅雨入り前の5月の方が6月より雨が多かったような気がする。台風も過ぎ去り、また太陽照りつける真夏日が続いている。
フランスでは6月21日はフェット・ドゥ・ラ・ミュージックという音楽のお祭りの日である。
夏休み前の夏至の一日を音楽漬けになって過ごす一日で、日照時間が一年で一番長いこの日に、夏の到来を音楽で祭ろうという趣旨で始まったらしい。朝から夜中迄至る所で、街の中でも道路の真ん中でもプロもアマチュアも老若男女、誰でも何処でも、歌ったり演奏したり・・・いろんなジャンルの音楽が溢れる日である。
巴里祭もいいけれど、このお祭りの日にパリに行ってみたいものだ。
その6月21日がお誕生日のお友達のN子ちゃん。一日遅れで昨日バースデーのお祝いをした。
いつも活き活きしていて、優しくユーモアのある聡明な女性、私よりはるか年下のお友達である。
自分のお誕生日も人のお誕生日も大〜〜好き、幸せ気分にしてくれる記念日だ。
ムシムシする日々、ここの所忙しい毎日なので、体調と咽喉に気を付けてひとふんばりしなくっちゃ!梅雨明けの知らせを待ちながら・・・。
《バースデーを迎えたN子ちゃん》
6月28日
福島のビアレストランでのちょっとはやめの巴里祭イヴェントを終えて帰った。
いっぱいのお花やさくらんぼを抱えて・・・
学生時代、下宿のお隣だった大学の先輩が福島に住んでいて、お友達をたくさん誘って来てくれた。地元の新聞に載せていただいたので、申し込みが多くて随分お断りしたらしい。100人を越すお客様にはちょっと狭い客席になったかもしれないが、その分ビールは美味しかった事だろう。最初から、とても暖かいお声や拍手をいただき、嬉しい一日だった。
こういう時には、本当に歌っていてよかったなぁ、と思う。
以前『銀巴里』で私の歌を聴いてくださったというご夫妻にもお会いしたりして、感激。
音楽のお好きな方が多いところなのか、ご一緒に歌ってくださいというと、素晴らしい合唱団のような声がかえってくるし、手拍子もリズム感の良い事!
そうだよなぁ、福島では民謡とか盛んだろうし、歌がお好きで上手な方が多いのかもねぇ。
喜びと感激の一夜だった。
(My Walking Area に写真 Up してます!)