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2月 1日
青色発光ダイオード(LED)を発明した中村修二さんの裁判は気持ちがよかった。会社から2万円しかこの発明に対してもらえなかった中村さんに会社は200億円支払うという判決。「この判決で、子どもたちがサイエンスに夢を持てるようになる。」とおっしゃった中村さんが、愛媛県出身の方というのも、同県人としては嬉しさ倍増。

さて、一月最後の日、久し振りに鵠沼の『ジョリ・シャポー』に出演した。俳優、森次晃嗣さんが16年前からやっていらっしゃるお店である。毎度の事ながら、辻堂の駅からは、タクシーの運転手さんが「ウルトラセブンのお店に・・・」というだけで連れて行ってくれた。相変わらず森次さんは魅力的だし、お近くにお住まいの方達や、東京から車で来てくださった方や、お店のご常連や、たくさんの方達に囲まれて、幸せな一日だった。今日はラッキーディという占いは当たったかも!
《ステージ終了後、森次さんと》
2月 3日
《ご近所の梅の花》
今年も残すところ後11ヶ月になってしまったぁ〜(笑)という気分。1月は、結構充実して毎日過ごしたんだけれど、それにしても飛び去るように過ぎる日々。
頭は固くなり記憶力は落ちつつあるから、歌詞を覚えるにも時間がかかる。そして、歌よりもハモニカはもっと難しい。(吹くだけじゃなくって、吹き吸いがあるから、頭がついていかない〜〜!)繰り返し繰り返し身体で覚える、それしかない! 「百錬自得」練習、練習、練習あるのみ・・・ブツブツ呪文を唱えるようにつぶやきつつ、繰り返しの日々。でもまだ足りないんだろうね。
もっと頑張ったら、練習は不可能を可能にする、かな?
毎年必ず蕾をつけて花開いていく、いつもの場所の梅の花に、少し元気を貰ったりしている。

・・・というところまで、日記を書いているところへ、新橋のずっとお世話になっているライヴハウスのマスターが亡くなったという知らせ。あんなにお元気だったのに、、、あまりに急な訃報に、眠れずにいる今夜。
2月 6日
大好きだった人とのあまりに急なお別れに、ぼーっとしている。毎日、良い音楽を提供するぞ、というプライドを持っていた人。数日前にお話したばかりなのに・・・ 残された者の気持ちとしては、「看取り」の時間がないというのは切ない。数年前に急に交通事故で逝ってしまった友達の顔がよぎる。
昨日のあまりにも綺麗な満月を眺めていたら、それだけで涙がこぼれたが、今頃きっと、大好きなビールを天国で先に行って待っている仲間達と一緒に飲んでいる事だろう。
仕事で東京を離れるためにお通夜にも告別式にも行けないので、心の中で手を合わせてご冥福をお祈りしようと思う。
2月10日
ベランダのヒヤシンスや水仙が芽吹き始めた。寒さの中、頑張ってるなぁ・・・といとおしくなる。
水仙を見ると思い出すのが祖父の事。祖父が亡くなったのは私が高校生の時なのだが、亡くなったあとも、祖父が届けてくれた水仙の花が机の上でずっと咲いていて、なんだか悲しかった事。
ちょっと咽喉がイガイガ。花粉ももうそろそろ始まっているかしら。丈夫がとりえなのに、この時期必ず一度は弱まっちゃう私、気をつけなくては!
2月15日
20年近く使ってきた写譜ペン(譜面書き用の万年筆)が、ついに駄目になってしまった。
自分の癖がペン先にたっぷりと沁みこみ、愛着があるが仕方がない。新しいものを購入、前と同じくネームを入れてもらった。
これから精々新譜を書いて、私の手癖をつけていこう。
パソコンで書いた譜面が増えてきている時代だが、譜面だけはペン書きの方がおたまじゃくしが生きて踊っているようで、手書きにこだわっている、頭の固い私。
出演している上野池之端のライヴハウスでは、毎年今の時期、立派なお雛様が飾られる。今年も、目の保養をさせてもらってきた。このお雛様は京都の方の作品で、男雛を左、女雛を右に飾って欲しいと言われたとのことで、毎年この写真のような並びで飾られている。
関西関東では並びが逆のよう。向かって右の上座が男性だったのだが、明治天皇皇后両陛下が国際習慣を取り入れられたため、記念撮影の時には逆に並ばれたからだとか、いろんな説があるみたい。結婚式では向かって左が新郎右が新婦なので、目にはその並びが慣れてしまっているかも。
いずれにせよ、女の子の幸せを祈って作られたお雛様の可愛らしさは、春に向かう季節とあいまって優しく華やいだ気持ちを運んでくれるようだ。
小さなお雛様を出す。そして今年も、もうお嫁に行かないからいいんだもん、と思いつつしばらくしまわずにいそうである。
2月22日
《池之端Quiのお雛様》
2月24日
三寒四温を繰り返しているけれど、先日の暖かさでベランダのカランコエやラベンダーも蕾がほどけ始めたし、ヒヤシンスと水仙が見る見るうちに花開き始めた。目にも鮮やかだが香りもかぐわしく、ダブルで楽しんでいる。
先日は採れたてフキノトウを頂いたので天ぷらにして春のほろ苦さを楽しんだ。
猫柳のすべすべにも触ったばかり。
うぅ〜ん、耳に聞こえてきた春一番はちょっと怖いくらいだったけれど。
目も鼻も舌も耳も肌も・・・五感をいっぱい使って楽しめるみずみずしい春もすぐそこだ。
春が行きつ戻りつするなか、ほころんだ蕾を探すこんな時期を、花待月といった詩人がいたっけ。
《秋植えのヒヤシンス・水仙》
《芽が出てきたヒヤシンス》
《新品の写譜ペン》
2月28日
《芭蕉採荼庵跡傍にて》
散歩途中の芭蕉採荼庵跡傍の川沿いには18の句が並んでいる。
この写真の句「草の戸も住替る代ぞひなの家」を詠んで旅が始まったそうだが、その次は千住で詠んだ「行春や鳥啼魚の目は泪」そしてお馴染みの「夏草や兵どもが夢の跡」「閑さや岩にしみ入蝉の声」「五月雨をあつめて早し最上川」「象潟や雨に西施がねぶの花」「荒海や佐渡によこたふ天河」などが続く。
月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。歳若くはない旅の始まり。芭蕉は、旅先で触れた歴史の重みの前で、自分の人生はちっぽけと思ったんじゃないかな。山頭火もそうだが、辛くもあるけれど感動を呼び起こしてくれもする「旅」。
漂泊の思いは我が心の中にもいつもあるけれど、都会のネオンの方に近い現実・・・夢くらいは枯野を駆けめぐりたいなぁ、などと考えつつ歩いた陽だまりの中。