4月 1日
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今日は、我が誕生日。
昨日は、大好きな皆が聴きに来てくださって、お祝いしていただいて、とても嬉しい夜だった。
ひとつ歳をとってしまった・・・じゃなくて、ひとつ、歳をいただいた、と思って生きていきたい、只今○○才!
《ピアノの土肥さん、ベースの大津さんと》
4月 4日
「宋三姉妹」を観に行って以来の岩波ホール。
韓国映画「おばあちゃんの家」を観てきた。
少年が、田舎のおばあちゃんのうちに預けられた数日を描いた映画である。
話すことができないおばあちゃんをバカにし、不自由な山の生活に不満を爆発させるわがままな少年サンウの願いを叶えようとするおばあちゃん。少年はかわってゆく。
描写もこまやかで、監督の、亡くなったおばあちゃんの深い愛情に感謝する気持ちが伝わってくる。
胸が熱くなリ、たっぷり涙してきた。
おばあちゃんも素人さん、村の人々も素人ばかりだそうだが、素晴らしく心温まる映画であった。
4月15日
暖かかったり寒かったりに、身体のついていかないこの時期だが、それでも好きな季節、春。桜を求めて、散歩三昧の日々である。
歩いてみると、東京には桜がなんと多いことか。隅田川沿いには、かなり意識して桜を植えたのだろう。
昼間から、花見で宴会をしている人の顔も緩みっぱなし。桜の木の下で見る夢の話などが本に書かれるが、その気持ちが良くわかる。
可憐だったり妖しげだったり、桜の顔を、今年は後どれ位楽しめるだろうか。
御衣黄やら鬱金といった緑色の桜にも出会ってみたいと思うが、今日はとりあえず、清澄庭園そばの蕾だった枝垂桜がどこまで目覚めてるか見に行こう。
いざスタート!
4月9日
『葉桜の中の無数の空騒ぐ』
この句は確か、我が故郷松山の石手寺に歌碑があったような気がする。今頃の時期には、毎年思い出す俳句である。
桜の季節も、あっという間にもう終わり。
日曜日に散歩中に見た花は、紅白が一本の木に咲いていて珍しく、名前を調べたら、『源平桃』と言うそうな。紅白の対照を、平家の赤旗と源氏の白旗に見立てた花の名前は多いが、これもそうだった。良いネーミングである。つい可愛くてシャッターを押した、のどかな午後。
その後、散歩を続けて、買ってきた勿忘草や、バーベナや ・・・
我が家のベランダも少しずつ花が増えはじめた。
次々に芽吹く木々の緑もみずみずしい季節。育てる人間もみずみずしく在りたいもんだと思いつつ、ちまちまと土いじりする毎日である。
ご隠居さんみたい。
4月19日
ぴかぴかのランドセルの小学一年生や、だぼだぼの制服の中学生や、まだスーツにネクタイが似合っていない新入社員らしき姿が目に付く季節。なんて初々しいこと。あんな時期が私にもあったんだなぁ。今更ながら、初心忘るべからず、と思う。
今はなきシャンソン喫茶「銀巴里」のデビューの頃。出演者は一日に4人、「卵、ひよこ、小鳥、鳥」と次々に出てきて歌う。トリは、その頃、あぁこんな方と同じ板の上で歌えるのかと、興奮するような尊敬する先輩達。
卵からスタートした時の、あのときめき、あの幸せ、あのひたむきさ、あの心意気、いつまでも忘れないで、精進しなくっちゃ!
好きなことをお仕事にしていられるのだから。
4月23日
ここのところ、大学時代の友達が、ライヴに来てくれるということが続いた。 子供が手を離れて、自由な時間が出来たということもあると思うが、何年ものブランクを通り越して、嬉しい再会である。
青春、朱夏、白秋、、、人生あっという間に過ぎていくものだと感じているこの頃、特に今年あたりから、やれ腰痛だの、コレステロール値だの、気になり始めているこの頃、時間の逆戻りは出来ないのだが、出来てしまうのが、彼女達に会った時である。
幸せの時間、思い出話と共に、次々に浮かんでくる、顔や風景。
青春時代の輝きを共有した友達は宝物だ。
(My Walking Area に、桜の写真はたっぷりと!)